02-08-13

ロバート・ラウシェンバーグ−消されたデ・クーニング

“Robert Rauschenberg – Erased De Kooning”に日本語字幕を付けました。
翻訳は辻憲行 (twitterID=nori_1999)
芸術係数(http://gjks.org)
元の動画はこちら

〔字幕〕
ナレーター:ウィレム・デ・クーニングは抽象表現
主義の画家の中で最も成功し、最も大きな影響を与えた作家である。
同時代の若いアーティストたちは皆、彼の卓越した絵画やドローイング作品を
知っていた。

ラウシェンバーグ:みんなデ・クーニングみたいな作品を作っていたよ。
当時の私の作品は彼らのような絵画ではなかったから、
誰も私の作品を真剣に取り上げなかった。
そのおかげで、みんなと仲良くできたよ。
誰からもライバル視されなかったからね。
脅威ではなかったんだ。

男:消されたデ・クーニングだって?www
そりゃどんなだい?教えてくれよww

ラウシェンバーグ:そう、私は描くのが好きなんだ。
馬鹿な事を言ってると思うかもしれないが
私は単純なドローイングから離れて、真っ白な画面に向かおうとしたんだ。
私は自分でドローイングを描き、それを消すという行為を続けた。
だからそれは単なる消された…、そう…ラウシェンバーグだった。
つまりそれは、価値のないものなんだ。
その内気づいたんだ。消されるのは最初から芸術でなければならない、とね。
消されるのはデ・クーニングでなければ。
でなければ重要な作品にはならない、と。
このばかばかしさが分かるかい?
ドローイングを消す事を作品にするためにだよ。

そして私はジャック・ダニエルズのボトルを買い、
それを抱えて彼の部屋のドアを叩いた。
私はずっと彼が不在である事を願っていた。
それならそれで、作品になるから。
だけど彼は家にいたんだ。

短く気まずい時間の後、私の考えを彼に伝えた。
彼は私の考えを理解してくれたよ。
だけど彼はそれに応える必要はないわけだ。
彼が断る事を願ったよ。
それで十分作品になるんだからね!

男:驚いたね。俺ならデ・クーニングが醜い面を見せると予想しただろうね。

ラウシェンバーグ:彼はもっと私を居心地悪くする事ができただろうが、
おもむろに制作中の絵画を取ってイーゼルから外した。
私は彼の行動を計りかねていた。
そして彼はすでに閉じられた入り口のドアに、そのカンバスを立てかけたんだ。
だけど私はそれに気づいていたよ。
そして彼は、「私が失うものになりたかった」と言った。
私は、勘弁してよ…そんないいものじゃなくていいですよ…
とは言わなかったけど、そう思っていた。
私は黙っていた。
そして彼は「君にとても消すのが難しい作品をあげよう」と言った。
マジかよ…とww
加えて彼は色々くれたよ。チャコールに、
油絵の具、えんぴつ、クレヨンとか。
これくらいの小さなドローイングを消すのに一月かかったよ。
裏面は消さなかった。
裏面には記録が残されていた。

女:私は、偉大な巨匠に挑戦したいという彼の
内面の心理が現れた行為だと思うわ。
彼がデ・クーニングを敬愛していたのだとしてもね。
でしょう?だって当時の最も偉大な存命作家ですもの。
それに当然大きなスキャンダルになるわね。
巨匠の作品を消してしまうだなんて!
それは作品を美術史から消してしまう可能性があるだけじゃなくて、
彼の財産を損なう行為でもあるんだから。

ラウシェンバーグ:人々はそれを…抽象表現主義への抵抗の
ジェスチュアと受け取った。
事実は込み入った話だからね。
大多数の人はそうは考えないだろうね。
そんな事があったとは思い至らないだろう…
あるいは純粋な破壊行為か…言い換えれば
野蛮な振る舞いだと思われただろう。

インタビュアー:あなたにとっては?

ラウシェンバーグ:詩だよ。

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09-22-12

ケイティ・パターソン「地球―月―地球(月面に反射した「月光」ソナタ)」

“Artist Katie Paterson on Moon Transmission”に日本語字幕を付けました。
翻訳は辻憲行 (twitterID=nori_1999)
芸術係数(http://gjks.org)
元の動画はこちら

ケイティ・パターソンは「オルターモダン」展参加アーティストの1人。このプロジェクトはベートーヴェンのソナタ「月光」のMIDIデータを電波に乗せて月面に飛ばし、反射されたデータをもう一度地球で受信した上で、戻ってきたMIDIデータをプレイヤー・ピアノに演奏させるというもの。地球からの電波を月面に反射させて再受信する技術はEMEラジオと呼ばれ、現在ではアマチュア無線でも利用されている技術。パターソンは同じコンセプトでジョン・ケージの「4分33秒」も取り上げている。

プレイヤーピアノの演奏

〔字幕〕
私がこの作品の制作を始めたのは、アイスランド滞在中にネットで月の
イメージを適当に眺めていた時、偶然地球ー月ー地球(EME)ラジオの
ことを目にしたのがきっかけでした。

それは地球から電波を飛ばし月に反射
させて再び地球で受信するというもので、
最初はそれが本当に可能なのか、作り話
なのか分かりませんでした。

調べてみると、それは実際に行われて
いることだと分かったのです。

ベートーヴェンのソナタ曲「月光」を
送信しようと決めたのは…
EMEラジオについて知る以前から、
テクノロジーに関心はあったのですが、
何か感情的に楽しめる作品を、信号に
分解して、電波に乗せることができるとは思って
いませんでした。

でも音楽を送信するのは面白そうだと思いついたんです。

そうれば元の曲とのズレを聴いて確認できる。
月から戻ってこなかった部分を耳で確かめることができると思ったのです。

そしてウィキペディアによると、
最も有名な月についての曲が「月光」でした。

私はまず「月光」のMIDIファイルを聴いたのですが、
それはこどもの演奏のような、デン、デン、デンという感じでした。

それを聴いたとき、これはうまく行くだろうと直観しました。
月へ送られた電波が戻ってくる間に何かが失われる…
MIDI音源では元々表現的な要素が失われているので、
偉大な作品がもっている威厳もやや削がれるでしょう。

戻ってきたデータは、別のテクノロジー、別の翻訳を経て再演されるべきだと思い、
プレイヤー・ピアノを使って亡霊の演奏のように見せるのが良いと思いました。

その演奏はそれでも、とてももの悲しくて、
ほんの少しズレを感じますが、元の「月光」とほとんど同じに聴こえます。

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08-23-12

キャロライン・クリストフ=バカルギエフ(Documenta13ディレクター):インタビュー

“Interview with Carolyn Christov-Bakargiev (English)″に日本語字幕を付けました。
翻訳は辻憲行 (twitterID=nori_1999)
芸術係数(http://gjks.org)
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ドクメンタ13のディレクター選出直後の頃のインタビュー(04.12.2008)と思われます。

〔字幕〕
インタビュアー:バカルギエフさん、ドクメンタを監督する
魅力とは何でしょうか?

キャロライン・クリストフ=バカルギエフ:ドクメンタを組織することを素晴らしい
チャレンジにしているのは、もちろん、意義深い活動を探求するための時間が
与えられることです。
それは極めて断片化された日常の時間の速度とは全く異なるものです。
そしてもう一つ素晴らしいのは、世界中の最も興味深いアーティストや精神
の持主と関わる機会が与えられることです。
そして彼らとともに、アートワールドと観客の双方にとって意義
深いプロジェクトを作り上げるのです。
アーティストや知識人には極めて重要な役割があるのですから。

インタビュアー:これまでのドクメンタはご覧になりましたか?

バカルギエフ:ええ、可能な限り全部見てきましたよ。
シュネッケンブルガーが二度目に監督したドクメンタ8以降はすべて見ました。

インタビュアー:カッセルについてはどの程度ご存知ですか?

バカルギエフ:いい質問ですね。
どの程度カッセルを知っているかという質問は、
私がどれほどわずかしかカッセルのことを知らないかを答えるものですから。
私自身、カッセルについて知っていることはわずかだと感じています。
私はドクメンタが開催されるたびにカッセルを訪れてきたわけですが、
それは私のカッセルについての知識や体験が、
カッセルの日常生活からは遊離したものであることを意味しています。
とはいえ、コミッティーとのミーティングのためにカッセルを訪問することは、
たくさんの時間を持つ特権を与えてくれました。
もちろん他のディレクター候補者も同じですが…
ともかくその時間は、より…
私が間接的にしか知らなかったことを、つまりこの街が経験したとてつもない
困難を、理解する助けになりました。
五〇年代以降に建てられた、いわゆる新しい建築物は、
巨大なトラウマによって生み出されたものなのです。
そしてそのトラウマは不在の状態において私たちの眼前に現れているのです。
私はこれからそのトラウマについて理解していこうと考えていますし、
それについてより深く考察していくつもりです。

インタビュアー:何が委員会を説得する要因になったとお考えですか?

バカルギエフ:私は彼らを説得したわけではありません。
私は私自身の考えを主張しただけです。
私は人生の中で、一度でも誰かを説得しようとしたことはありません。
誰かを説得しようとすることに関して、私は政治的に反対します。
ドクメンタを監督する人物はオープンであるべきだと考えますが、
ディレクターは何らかの主張をしなければならないでしょうし、
彼らは私の主張に賛同してくれたのだと思います。

インタビュアー:大臣は花火が見たいと言って、あなたが
花火を取り入れるのを期待していますが、
今回のドクメンタに私たちはどんな期待をしたらいいでしょうか。

バカルギエフ:私の髪は縮れ毛ですから、ちょっと花火に似ているのかも
しれませんね。
それはさておき、私が期待しているのは、あくまでも期待ですが…
多くの来場者にとって魅力ある展覧会になること、
そして様々なレベルで意義深い展覧会になることです。
感覚的にも、精神的にも意義深い展覧会を作りたいのです。

インタビュアー:最後の質問です。十三という数字はあなた
にとって何か特別な意味を持ちますか?

バカルギエフ:十三はとても奇妙な数字よね。
いくつかの文化では、それは不吉な数字とされています。
私は一般的に思われているのとは逆の考え方をするので、
幸運だと思っています。

インタビュアー:わかりました、ありがとうございました。

バカルギエフ:どうもありがとう。

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08-22-12

リーアム・ギリック:インタビュー(2009年ヴェネツィア・ビエンナーレ ドイツ館のインスタレーションについて)

“Video-Interview: “Liam Gillick””に日本語字幕を付けました。
翻訳は辻憲行 (twitterID=nori_1999)
芸術係数(http://gjks.org)
元の動画はこちら

リーアム・ギリックは2009年のヴェネツィア・ビエンナーレでドイツ代表としてジャルディーニのドイツ館でインスタレーションを発表しました。このインタビューでは特にその入り口部分のプランについて語っています。日常空間としてのシステム・キッチン(ウィーンの女性建築家マーガレット・シュッテの「フランクフルト・キッチン」のデザインに基づいている)を模したインスタレーションを展開させることで、ビエンナーレそのものの歴史とドイツの国家の歴史が重くのしかかるドイツ館の空間の意味を脱構築することがギリックのインスタレーションの狙いでした。

展示風景はこちら

〔字幕〕
展示の最初のパートはまだお見せできないのですが…
私が「虫除けブラインド」と呼んでいるプラスチック製のすだれです。
それがエントランスに設置されます。

このドイツ館で作品を見せるにあたって私が考えていたのは、
どうやってこの建物に抵抗することができるかということでした。
なぜなら…誰もがこの建物の固有の歴史を知っているから。
しかし私自身にとっての問題の一つは、ここが教会に似ていることでした。
それは二重の問題でした。
一つはドイツという国家がたどった歴史、もう一つは建物が教会を思わせるという
形式上の問題。
それは私に重くのしかかっていました。
それを克服するため、日頃から見慣れたプラスチック製のブラインド…
食堂やパン屋でよく見かけるようなブラインドを使おうと思ったんだ。
そして建物入り口の荘厳さや深淵さを減らそうと考えました。
言葉を使うことなく、日常生活の場所の雰囲気を取り入れよう
と考えたんだ。
それに…自分がまだ幼い頃、夏の季節には同じようなものを台所の
入り口に掛けていたんだ。
だからプラスティックのブラインドは展覧会のサインになる。
ここから先は台所のような日常的な雰囲気の場所だよ、というサインにね。

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07-31-12

ジェニー・ホルツァー「都市へ」

“Interview with Jenny Holzer″に日本語字幕を付けました。
翻訳は辻憲行 (twitterID=nori_1999)
芸術係数(http://gjks.org)
元の動画はこちら

芸術係数読書会で取り上げている、クレイグ・オーウェンス「作品からフレームへ、あるいは、「作者の死」後、生き残るものはあるか?」でも紹介されているジェニー・ホルツァーのウォールプロジェクション作品についてのインタビューです。

〔字幕〕
ジェニー・ホルツァー:アートは時に、意図や意味に適切な
感情を与えてくれる。
長年パブリックアートに関わるアーティストたちは、
できるだけ多くの人々に作品を届ける方法を見つけ出すのに長けている。

図書館員:図書館の最も重要な仕事は、知識を広めることです。
今回のプロジェクトが素晴らしいのは、二〇世紀の最も優れた詩が作品に用い
られ投影されていることです。
その詩は、多くのモチーフを包み込むものであり、人間の心に最も強く訴えかける
テーマを取り上げているのです。
例えば、生命、死、戦争などです。
そして人々は自由にその意味するところを受けとめるのです。

ホルツァー:最初にこのテキストを投影したのは、ジョージ・ワシントン大学のゲルマン図書館の壁面でした。
そこには国家安全保障関連のアーカイブがあります。
ここで投影しているテキストは、そのアーカイブに含まれているものです。
そこには、テキストそれ自体がより直接的に感じられるような資料があります。
それらの書類は、誰の保護も受けられない人々が書いたもので、その文字は、時に殴り書きのように
書かれており、手書きの文字は、歴史を現実のものとして感じさせてくれるのです。

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07-10-12

リチャード・ドーキンス「道徳の問題を科学的に考える」

“Richard Dawkins: Letting Science Inform Morality″に日本語字幕を付けました。
翻訳は辻憲行 (twitterID=nori_1999)
芸術係数(http://gjks.org)
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ルーシー:1974年にエチオピアで発見されたアファール猿人の化石人骨の愛称。発見の際に、調査隊のメンバーが
ビートルズの「Lucy in the Sky with Diamonds」を流していたことからそう呼ばれている。

アルディ:1992年に東京大学の諏訪元教授によって発見されたラミドゥス猿人の化石の愛称。ルーシーより100万年以上も
前に直立歩行をしていた可能性が指摘されている。

最古の「人類の祖先」はルーシーではなくアルディ(ラミダス猿人)-WIRED

〔字幕〕
–科学は道徳の問題を解明できるのでしょうか?

リチャード・ドーキンス:科学の仕事は道徳上の問題を解明する
ことではありません。
しかしながら科学は、道徳哲学におけるあらゆる主題の、
道徳的問題を論理的に検討する際に、
特定の考えの矛盾点を明らかにするのに役立ちます。
中絶や安楽死などに関する道徳上の問題を検討しているとき、
誰かが、極めて醜悪な意見を述べていることを、
それが、自己矛盾をきたしているためであるとして指摘できるのです。
そういう意見を言う人々は…あることを強く主張しつつ、
他の主張と同等のリスクを自らの主張も持っていることを無視する
という矛盾を抱えているのです。
その矛盾を指摘するのが、科学的思考なのです。
それは科学そのものではなく、哲学における科学的思考です。

さらに、科学的事実もまた、例えば中絶の道徳的問題を解明するのに
役立つのです。
科学者は、胎児の発達過程で、いつ神経組織が発生するのかについて、
有益な情報を提供できるでしょう。
神経組織の発生以前には、胎児は痛みや苦しみを感じる能力を
持たないでしょうから、神経組織の発生は、極めて重要な意味を
持っていると言えるでしょう。
あるいは、胎児の神経組織が発生し、痛みや苦しみを感じる能力を獲得
したとしても、それは成牛の神経組織よりも未熟であると言えます。
その場合、人間の胎児の感じる苦しみと、
食肉として屠殺される成牛の苦しみのバランスはどうなのか。
道徳至上主義者なら、人間は特別な存在であり、
牛は人間ではなく、同じ道徳的考察の対象にならない、と言うでしょう。
それに対して科学者はこう応えるでしょう。
特別とはどういうことでしょうか?我々人類は結果として進化したに過ぎず、
すべての種はいとこのようなものです。
あなたは進化の過程のどこかで線引きをして、ここからは人間で、これ以前は違う、
などと主張するのですか?
人類はチンパンジーと共通の祖先からの進化の過程で、およそ六百から七百万年前、
ルーシーやアルディのような種を経由し現生人類に至ったわけですが、
ルーシーは人間の道徳観念を持つのか、それともチンパンジーのそれを持つのか。
この問いが示唆するのは、このような仕方で、種の間に明確な境界
線を引くべきでないということです。おそらくその線は、
もっと曖昧なものであるべきなのでしょう。
極端な道徳至上主義者は、早急に確固とした境界線を、人と他の種
の間に引こうとします。
人間の排泄物さえも人間的であると言い、大人のチンパンジーの排泄物は
人間的ではないと言うのです。
そのような主張は考察に値しない、と言うことは、
科学的に一貫性のある主張なのです。
少なくともこのような仕方で科学は、
道徳上の議論に寄与するのです。

–科学的理性が、社会に害悪をなすことはあるのでしょうか?

ドーキンス:私たちは醜悪な行いを功利主義的に
正当化することができます。
人は拷問について、功利主義の立場から
それを肯定することができるのです。
道徳哲学者は次のような仮想問題を提起することがあります。

世界規模の爆弾が起爆しようとする時、ただ一人の人間が
それを止めるパスワードを知っているとする。
その人物は自爆犯であり、パスワードを教えようとしない。
我々にその人物を拷問する権利はあるだろうか?

多くの人が、権利はあると答えるでしょう。
拷問は極めて残酷な行為であるけれども
このような特殊な状況下でなら、世界を救うため、
人はその人物を拷問するだろう。
こうして功利主義的に拷問のような醜悪な行いを正当化できるのです。

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06-29-12

デミアン・ハーストへの10の質問

“10 Questions For Damien Hirst″に日本語字幕を付けました。
翻訳は辻憲行 (twitterID=nori_1999)
芸術係数(http://gjks.org)
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〔字幕〕
ベリンダ・ロスコム:こんにちは、ベリンダ・ロスコムです。
タイム誌の編集者です。

デミアン・ハースト氏は、世界で最も成功し、著名で、そして裕福な
アーティストの一人です。
ハースト氏は、世界各地に点在する十一箇所のガゴシアン・ギャラリーを全て使い、
彼のスポットペインティングだけの展覧会を開催中です。
今日はその展覧会に関連した十の質問に答えていただこうと思います。

ハーストさん、ようこそ。

デミアン・ハースト:どうも。

ロスコム:世界各地の十一箇所のギャラリーで、
あなたのスポットペインティングだけが展示されています。
なぜこのような展覧会を思いついたのですか?

ハースト:ラリー(・ガゴシアン)のギャラリーには、
各地のギャラリーで展示中の、それぞれのアーティストの名前が壁に
プリントされているんだ。
それを見たとき考えた、世界中のアーティストの中で俺だけだな、
全部のギャラリーを一人の作品で埋められるのは、とね。
要するに誇大妄想狂の発想だよ。

ロスコム:あなた自身が描いたスポットペインティング
は五枚だけだったかしら?

ハースト:この展覧会に出品されているものの中では
だいたい二十五点くらいだ。

ロスコム:あら、二十五枚も!
作品を外注するときにはどんな風にやるの?
作品制作の外部委託は他の人もやってるけど、
あなたとは違うやり方よね。
例えばアメリカの企業がやるように、
スリランカの人に技術訓練したりするの?

ハースト:アーティストなら訓練さえすれば誰でも
作品を作れると考えるべきだ。
作品制作には、多くの人々の才能が必要だからだ。
写真を写実的に描いた絵画作品の場合も同様だ。
俺は自分の能力だけですごい絵が描ける奴を雇わない。
自分の才能だけを頼り、誰の協力も必要とせずに描いてしまう。
だが、俺がやってることは訓練次第で誰でも
できるんだ、と考える方がいいんだよ。

ロスコム:つまりあなたが雇うのは能なしということなのかしら?

ハースト:絵筆を握ればいいんだ。基本的な技術さえ
あれば、それで十分ということだよ。

ロスコム:さっき警備の人から聞かれたのよ、
それぞれの丸は何を意味しているのかって。
一緒に考えてあげましょうか?

ハースト:そうだな…赤は愛を、白は純粋さを、黒は死を、
青は憂鬱を、緑は嫉妬を意味しているよ。

ロスコム:真面目に言ってるの?それともふざけてるのかしら?

ハースト:そもそもアートは…
俺が作っている作品は、それが人にとってどんな意味を持つか、
十分に説明できるようなものじゃないんだ。
おそらく人間は混乱を、あるいは世界を秩序
付けようと欲する生き物なんだろう。
だから我々はグリッドを好むんだろう。
だけど人間がグリッドに収めようとするものが
そこに収まることはめったにないんだ。
人間っていうのはそういう事を好んでやろうとするんだよ。

ロスコム:同感だわ。
スポットペインティングを除くあなたの作品の多くは、
腐敗、死、堕落といったテーマを扱っていますね。
それはどういう理由からなのかしら?

ハースト:俺はいつも出来事の両面を取り上げる。
バタフライ・ペインティングを作ったとき、
感傷的に受け止められすぎないよう心がけた。
だから、フライ(蝿)・ペインティングを制作した。
愛は素晴らしいものだが、こうしている間にも、アフリカでは多くの
子供たちが殺されている。それが世界だろ?
圧倒的な矛盾であふれているんだ。
俺はそんな世界を反映する作品を作りたいのさ。

ロスコム:あなたは、世間から忘れられ、無視されるのが
一番恐ろしいと言っていたわね、そんなことありそうもないけど…。
実際あなたの作品は大きな議論を呼ぶことが多いわね。
例えばあなたの頭蓋骨の彫刻…神の愛?だったかしら。

ハースト:そうだ。

ロスコム:頭蓋骨にプラチナとダイアモンドが
散りばめられてるのよね。
そういう作品にはある意味芝居がかった
ところがあるように感じるの。
それで何人かから、そういうやり方が、ある種の
TV番組を連想させると聞かされたの。
そうね、例えばピンプ・マイ・ライドや
ケーキ番長みたいな番組、英国にもあるわよね

ハースト:俺はピンプ・マイ・ライド好きだけどな。

ロスコム:そういう番組では色々な出演者たちが、
驚くような創造性を見せてくれる。
彼らとあなたの創作との間に区別はあるのかしら?

ハースト:なんであれ、超良くできたものがアートだ。
俺は神を信じない。俺にとってはアートが宗教なんだ。
俺はいつも1+1が3になるような数学的奇跡について考えてる。
ダイアモンド・スカルをパクる奴もいるだろうし、
1+1を2にする奴もいるだろうが、それじゃ足りないんだ。
1+1が1のままだったら未来はない。スタジオに引きこもるしかない。
ダイアモンド・スカルで言えば…アーティストは、
身の回りにあるものごとから発想する。
ダイアモンド・スカルはブームになっていて、
大勢が大枚はたいて買っていってるよ。
そんな大金ははガキの頃の俺には見果てぬ夢だった。
今の状況はイカれてるよ。
俺にはダイアモンド・スカルを作ることしか思いつかなかった。
そいつは俺をとんでもなく怯えさせるんだ。
俺は囚われの王様の気分だった。
作品を作るのに百万ポンド以上使うんだ。
言いたくはないが、大金を手にすると創造することが困難になる。

ロスコム:それについて聞きたかったのよ。

ハースト:おかしなもんさ。
アーティストはヴァン・ゴッホのように
貧しくあれ、っていう考えは気に入らない。
金は何かを可能にするための鍵のようなもので、
そのために制作するようなものじゃない。
金は愛と同じくらい面倒なものだと思ってる。

ロスコム:それが控えめに見ても三百万ドルの値打ちの
ある男性からの言葉かしら?

ハースト:どうかな。

ロスコム:三百万ポンドかしら…
自分ではわからないものかしら?

ハースト:価値は変わるからな。
まあいいさ。
会計士と俺の子供のことについて最近話したんだ。
彼は「子供のことは心配いらないな」と言った。
貧しい環境で生まれたら心配事は尽きないだろう。
どうにもできないことだよ。

ロスコム:私にも一つ包んでくださらない?

ハースト:三百万ドルだぜ。

ロスコム:ポンドじゃないの?

ハースト:ポンドかもな。ポンド、ドルどっちかな。
ポンドとドルを入れ替えるのもいいな。

ロスコム:そうね。

ハースト:今じゃどっちも変わらんがね。
大特売会で買えるかどうかだな、だろ?

ロスコム:ありがとうございました、ハーストさん

ハースト:どうも。

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06-20-12

マイク・ケリー「デイ・イズ・ダン」

“Mike Kelley: “Day Is Done” | Art21 “Exclusive”″に日本語字幕を付けました。
翻訳は辻憲行 (twitterID=nori_1999)
芸術係数(http://gjks.org)
元の動画はこちら

〔字幕〕
ポップカルチャーは、目に見えない。
誰もそれを意識しない。
とはいえ、自分はその文化の中で生活してるし、
多くの人々が口にするのはポップ・カルチャーのことだ。

自分はポップ・カルチャーに関心があるが、
それを賞賛しているわけじゃない。
たいていのポップ・カルチャーは嫌いなんだ。
つまり、私たちは支配的な文化の影響を
受けながら制作するほかないから、それを使って遊ぶのさ。
分解して再構成するんだ。

ここに並んでいるのは「デイ・イズ・ダン」の
それぞれの映像作品の元になった写真だ。
この、ヴィジュアルな脚本とも言える写真は、
グループ分けされていて、それぞれが
各映像の絵コンテのようなものなんだ。
写真は全部、ファウンド・イメージだ。

この箱は作品構成の見取り図なんだ。
このフォルダの中身は全身にクリームパイ
を塗りたくった連中の写真だ。
こっちは猿ぐつわをかまされ、縛られた
やつらの写真をまとめてる。
これは兵士の扮装をした男が、
いじめられっ子に扮した男をナイフで脅かしている写真だ。
この辺はいじめの場面の写真だ。
上流階級役が下層階級役を侮辱している。
これは豚囲いの中に入れられた連中の写真。
贈り物のラッピングに見立てた衣装を着ている人々の写真。
「スレイヴ・デイ」、これは私の大好きなやつだ。
強制的に屈辱的な衣装を着せられて、
競売台に乗せられて競りにかけられる。

このプロジェクトは、アメリカ民衆文化の
人類学的調査のようなものだ。
映像化されているのは日常的な行為じゃない。
それらはとても儀式化されているんだ。
その意味で、それらの行為は、作品制作に似ているんだ。
私は、アートは文化を儀式化する実践だと思っている。
それは規範的な振る舞いの外部にある。
例えばここにキャンドル・セレモニーを
撮影した2枚の写真がある。
一枚はカトリックの儀式の様子で、
ぽっちゃりした女の子が写ってる。
もう一枚に写っているのは知的で奔放な印象の女性だ。
彼女はビートニクっぽく見える。
私は、この厳粛な雰囲気の儀式を
ぶち壊す何かを付け加えようと思った。
それでナチスの軍服を着た二人組の男を登場させたんだ。
彼らはラップで彼女が太りすぎであることについて歌う。
ラップではよく取り上げられるモチーフだからね。
取り上げる題材に適した音楽ジャンルを選んだってわけさ。
連中は「デカ尻のデブ女」とかなんとか歌うんだ。分かるだろ?

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06-17-12

村上隆インタビュー -『Murakami Ego』展(2012)カタール

“Behind the scenes interview with Takashi Murakami – EGO, Doha Qatar 2012.″に日本語字幕を付けました。
翻訳は辻憲行 (twitterID=nori_1999)
芸術係数(http://gjks.org)
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同展キュレーターでヴェネツィア・ビエンナーレ2013の総合ディレクターでもあるマッシミリアーノ・ジオニのコメントも収録されています。

〔字幕〕
村上隆:初めてカタールを訪れたとき、自分にとってのフロンティアのように
感じました。
今回の展示では、すべてにおいて新しいことに取り組みました。
例えばLEDパネルを埋め込んだ台座などです。
それはとてもスペクタクルな効果を作り出しています。
それから私自身を象ったバルーン彫刻もあります。
それらはすべて、私の新しい挑戦として制作されました。

マッシミリアーノ・ジオニ:村上氏とともに展覧会を作り上げていく
仕事は、素晴らしい経験でした。
それは彼が現代の最も重要なアーティス
トの一人であるというだけでなく、彼が、
小さな帝国の中心として存在しているからです。
彼の仕事は数多くのアシスタントや友人との共同作業で進められます。
そのような制作の仕組みが彼の作品をさらに力強くするのです。
彼の展覧会の準備作業は、小さな都市を作り出すのと同質のものと言えます。
彼の想像力とアイディアはこの展覧会ですべて実現されています。

村上:日本との関わりが深いことは知っていました。
一見すると異なる文化に見えるけれども、ここもやはりアジアの一部です。
アジア的感性とは何か?それが私の問いであり、
この展覧会が答えなのです。

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06-03-12

ジュディス・バトラー「あなたの振る舞いがジェンダーを作る」

“Judith Butler: Your Behavior Creates Your Gender″に日本語字幕を付けました。
翻訳は辻憲行 (twitterID=nori_1999)
芸術係数(http://gjks.org)
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〔字幕〕
質問:「ジェンダーは遂行的である」とはどういう意味でしょうか?

ジュディス・バトラー:一つ言っておきたいのは、ジェンダーは遂行
される、ということです。
それは「ジェンダーは遂行である」というのとは、少し違います。
私たちが「ジェンダーは遂行される」と言う時、
それは普通、私たちはある役割を受け入れて
いるということを、
何らかの仕方で、役割を演じているのだ、
ということを意味します。
私達の演技は、私たちのジェンダーと、
私たちが世界に対して示すジェンダーに
対して決定的な影響を与えます。

ジェンダーは遂行的である、ということは
それとは少し違った意味を持ちます。
何かが遂行的であるとは、それが事実の生産を
繰り返すことを意味するからです。
私たちが演じ、歩き、話し、語るその仕方が
男性であるか女性であるかの印象を
確立するのです。

ブルックリンに越してきたばかりの頃、通りを
歩いていたら、
窓枠に腰掛けた女子高生が、私に声を
掛けて来ました。
「あなた、レズビアンなの?」と…
彼女は私に嫌がらせをしたかったんでしょう。
彼女は怖がっていたのかもしれませんし、
私が何者なのか不思議に思っていたのかも
しれません。
いずれにせよ、私は振り返って「そうよ」と
答えました。
それを聞いた彼女は、とても驚いていました。

私たちはまるで、男であることや、女で
あることが、内面的な現実であって、それは疑う余地の
ない事実であるかのように振る舞います。
実際のところ、それは繰り返し生産され、
再生産される実体のない現象なのです。
ですから、ジェンダーは遂行的である、とは、
あらかじめジェンダーを持つ人などいない、
ということなのです。
理解し難いでしょうが、これが私の主張
なのです。

質問:遂行的なジェンダーという考えは、ジェンダーに
対する私たちの見方をどう変えるのでしょうか?

バトラー:考えてみてください、
女性っぽいしぐさの男や、男のように振舞う女が、
いじめられたり、からかわれたり、暴力に
さらされることなしに、
あるいは両親に、精神科へ行くことを
すすめられたり、
「どうして普通と同じようになれないの」
と非難されることなく社会生活を送ることが
どれだけ困難なのか。
そこには、精神障害に対するノーマライゼー
ションのような制度的な力や、
若年期のいじめのような日常的に遂行される行為が、
私たちを固定されたジェンダーに拘束
しようとするのです。

私が考察しようとしている問いは、
ジェンダー規範がどのように確立され、
規制として機能するのか、
それを撹乱し、規制を乗り越える最良の
策とは何か、ということです。
私の考えでは、ジェンダーは文化的に作り上げられる
ものであると同時に、
行為、あるいは自由の領域でもあるのです。

最も重要なことは、暴力に抵抗することです。
観念的なジェンダー規範によって、
規範とは異なるジェンダーの人々や、
ジェンダー表象に従わない人々に対して
加えられる暴力に。

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