11-18-11

リチャード・ローティ「真理について」のテキスト

動画はこちら:リチャード・ローティ「真理について」

ローティ:私はプラグマティズムが、「真理」の理論的基礎付けや、その定義について考察するようになったことを、残念に思っています。

プラグマティストたちはこう言えばよかったのです:“「正当化」について語ることはできるが、「真理」について語るべきものは何もない。私たちは信仰を「正当化」することができる。私たちは信仰を「正当化」するために「真の」という形容詞を使う。そうして信仰は「正当化」されることなく「真理」となる。以上が我々の知り得る「真理」のすべてである。”

「正当化」は人の見方に関わるが、「真理」は「真理」以外の何ものとも関係しません。

それ自体としか関わらないものについて、何も言うことはありません。

大文字の「真理」とは神のようなものであって、神について語るべきことはわずかしかないでしょう。

だから神学者たちの言葉は否定神学となるのです。

今日のプラグマティストたちは「真理」を定義不能とするわけですが、私たちはその使い方を知っているのですから、定義など必要ないのです。

インタビュアー:ニーチェに倣えば、「真理はない、解釈だけがある」と?

ローティ:その言葉は、プラグマティストの一般的な考え方を言い表しています。どのような記述、あるいは解釈も、他の記述より真実に近いと言うことはできません。いくつかの記述はある特定の目的により効果的である、それ以上のことは言えません。ニーチェの遠近法主義に倣えば、“解釈を昇華させたり、掘り下げたりしても真理を手にすることはできない”ということです。これは、“プラグマティストは現実と外観の区別を放棄した”という私の指摘と実質的に同じことなのです。

日本語訳:辻憲行

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