04-08-12

トーマス・ルフ「JPEGシリーズと過去の重要な作品について」

“Thomas Ruff on JPEGS and Previous Key Series″に日本語字幕を付けました。

翻訳は辻憲行 (twitterID=nori_1999)
芸術係数(http://gjks.org)
元の動画はこちら

 

[字幕]
ある日ベッヒャーは私に言いました、
写真を使って制作を続けたいなら
メディアについて考え続けなければいけない、
そして、メディアについての考察は、作品に
反映されなければなりません、と。

その後私はデュッセルドルフ・アカデミーで
仕事を続け、
同僚や友人の肖像写真を撮り始めました。
私はそのシリーズを極めて客観的で、
即物的なスタイルで制作しようと考えていました。

私は100人の肖像写真を撮影しようと
考えていました。
異星人に人類がどんな姿をしているか
見せるために。

しかし観客は写真を指差しながら、
「あー、このピーターはよく撮れてるね」とか、
「あ、ハインツだね」とか、
そういう反応ばかりしていました。
だから私は彼らに向かって、
「違うんだ、これはピーターでも
ハインツでも、ピアでもなくて、
彼らを写した写真なんだ」と
言わなければなりませんでした。
私は、観客が写真というメディアの
存在を意識することなく、
写された現実の対象を直接見ていると
感じていることを知ったのです。
えー、正確にはそれに気づいたのは、
この作品によってではなくて…

私は一九八六年に、巨大な肖像写真の制作を
始めました。
当時はコダック社の巨大な印画紙が
入手可能で、
サイズは100X80cmでした。
それは非常に大きな効果がありました。
作品を見た観客の多くは、もはや
「これはピーターだ」とは言わず、
「これは巨大なピーターの写真だ」と
反応したのです。
観客はそこで初めて、自分が見ているのは
写真だと認識したのです。
思うに、写真の大きさによって、現代美術としての
写真は解放されたのです。
その大きさによって写真は物質としての
存在感を獲得し、
絵画では表現できない画像のクオリティを
生み出したのです。

私は、写真が現実を切り取るものだ、
という考えは、
必ずしも正しくないと思っています。
カメラは単なる機械にすぎず、
もちろんカメラは現実を記録しますが、
それはカメラを構える人間が選択した
現実なのです。

そして…
最も客観的に見える写真でさえ、
実は主観的なものなのです。
当時の私は、アートとしての写真に
飽き飽きしていて、
最も客観的な写真とはどのようなもの
だろうかと考えていました。

私はずっと、科学写真や医学写真に興味を
持っていたので、
最も客観的な写真とは、
天体写真ではないかと考えたのです。
なぜなら天体写真の場合、
作者としての私は、何も操作できない
のです。
星はあまりにも遠くにあるため、配置を
整えることはできません。
私には記録することしかできません。
さらにいえば、
写真家として専門的な技術を持ち、それを
活かす機材を持ってしても、
私にはこのような写真を撮影することは
できないのです。
地上の光や大気の汚れによって、
技術や機材はうまく機能せず、
クオリティの低い写真になるのです。
つまり…
天体写真によってはじめて、
私は作家性を放棄した、と言うことが
可能になったのです。
私はあきらめる他ないのです。
自分自身でこのような写真を撮ることは
できないのですから。

すでにご覧いただいたかと思いますが、
私はイメージ流通の構造に関心を持って
いまして、
JPEGというシリーズを制作し続けて
います。
シリーズのアイディアは、
インターネットから画像をDLしている
最中に生まれました。
私は…
ときおり、DLした画像の中に美しい、
細かなパターンを見つけました。
当初、私はそれがどうして生じるのか
わかりませんでしたが、
このパターンは画像圧縮のアルゴリズムに
よるものだったのです。
圧縮率はユーザーが指定することが
可能で、
圧縮によってこのパターンを作り出す
ことができるのです。
私がやることは、魅力的なイメージを見つけ、
イメージをファイルサイズ180kまで縮小し、
最後に最低画質まで圧縮して保存
することだけです。

シリーズの最初の作品には、
911の写真を使いました。
その日、私はここニューヨークに
滞在していました。
キャナル・ストリートを歩いている時、
WTCビルの倒壊を目の当たりにしました。
その時私は小型のカメラを持っていて、
それで撮影しました。
その後デュッセルドルフに帰って
フィルムを現像してみると、
何も写っていませんでした。
それが電池切れのためだったのか、
今になってもわかりません。
もしかするとエックス線の影響
だったのかもしれません。
それからネット上で911のイメージを
熱心に探しました。
そしてここにあるようなイメージを
数多く見つけました。
そして気づきました。
インターネットは膨大なイメージ流通の
供給源であるということに。
私が試みているのは、圧縮された画像を、
ネット上に流通するイメージの
再現/表象として提示することなのです。

作品は巨大なサイズでプリントされます。
その利点は…
この作品のもう一つのテーマは知覚で、
作品を10から15メートルくらい離れて眺めると、
普通の写真のように見えるけれど、
5メートルくらいまで近づいてみると、
8X8ピクセルのブロックノイズに
気づくのです。
それはイメージを絵画のように
見せます。
ピクセルの乱れを「絵画」と呼ぶのは
馬鹿げていると思われるでしょうけれど。

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