04-24-12

エルンスト・ゴンブリッチ「『美術の物語』について」

“Ernst Gombrich (author) on Story of Art″に日本語字幕を付けました。
翻訳は辻憲行 (twitterID=nori_1999)
芸術係数(http://gjks.org)
元の動画はこちら

[字幕]
チャーリー・ローズ:エルンスト・ゴンブリッチ卿は世界で
最も有名な美術史家と言えるでしょう。
彼はロンドンで学び、今年で九十二歳です。
彼は「美術の物語」の作者です。
この本は美術の正史として、売り上げは百万部を突破し、
二十三の言語に翻訳されています。
この本は二十世紀後半の視覚文化の
礎ともなりました。
彼はクラシック音楽の愛好家でもあり、
長年にわたってロンドン大学とヴァール
ブルク研究所で教えました。
第二次大戦中はBBCのドイツ語放送を担当し、
一九四五年、ヒトラー死亡の第一報を
チャーチルに伝えました。
彼は、一九九五年にこの番組に出演しました。
今宵は彼を偲びながら、
その日の会話を振り返りましょう。

これは驚くべき書物です。
人々の賞賛の声は届いているでしょう。
どうしてこのような書物が
生まれたのでしょうか。

エルンスト・ゴンブリッチ:それは様々な出来事の偶然の繋がりが
生んだものだと言っていいでしょう。
それはこのように生まれたのです。

私はかつて、子供向けの世界史の
執筆を依頼されました。
その頃の私は若く、まだウィーンに
住んでいました。
私が書いた世界史の本はよく売れました。
そこで出版社から、子供向けの
美術史の本の執筆を打診されました。
私はその依頼を断りました。子供向けの
美術史など存在しないからです。
しかし彼らはあきらめませんでした。
最終的に、子供向けにはしないことで
執筆を了承しました。
そうしてこの本は形になったのです。
執筆中には戦争をはじめ様々な理由で
中断を余儀なくされましたが、
それにも関わらず、書き上げることが
できました。

ローズ:どうしてこれほどの評価を
得たのでしょうか。

ゴンブリッチ:それは、率直な書き方をするよう
努めたからではないでしょうか。
明白な事象については謎めいた書き方を
避けましたが、
議論が必要な事象については謎を残して
おきました。
それは明白に謎なのですから。

ローズ:間違っていたら訂正して下さい、たしか
あなたはこう言っていましたね、
実際に言ったというより、事実上そう
言ったとされているということですが、
美術の「物語」、ということに重要な
意味があると。

ゴンブリッチ:とてもいい点に気づいてくれましたね。
それは意図的なものです。
「物語」が意味するのは、単に
時系列に起きた出来事を、順番に並べた
年代記ではないということを意図しています。
つまり「流行の年代記」のようなもの
ではないということです。
イメージ形成の展開というのは、
人の手が介在する物語なのです。
それは、人類の企図とその達成の所産なのです。
ある目的の達成が停滞した場合には、
他の人がそれを引き継ぐのです。
ですから、物語には一貫性があるのです。
人々はそこに、筋道の通った出来事の
連なりを見いだすのです。

ローズ:確かに、読者はその点に魅力を
感じているのでしょう。
あなたは物語を展開させるための、
繋がりを生み出したわけです。

ゴンブリッチ:そうです、それが私がやろうとした
ことです。

ローズ:モダン・アートについてはどう
お考えですか?

ゴンブリッチ:それに関連して、モダン・アートは
興味深い問題です。
私の物語は、ある意味で、
世界を表現する際の、対立する二つの
問題や手法の、争いの物語なのです。
簡潔に言うと、知識に基づく表現と、
見ることに基づく表現との間の争いです。
私はエジプト美術を通じて、
エジプト人が目前の事物を超えて、彼ら
が知るものを見ていたと説明した。

この物語の行き着く先は印象派です。
印象派を生み出したのは、無垢な目
と呼ばれた原理です。
目に見える世界をそのまま描出する、
その原理が勝利したのです。
十九世紀末のことです。

その後で何が起きるのか、その問題に
答えることが、
二十世紀の美術史を書くということ
なのです。

さて質問はモダン・アートについてどう
考えるか、でしたね。
モダンアートは、物語の中断に
直面しています。
そしてこれまでとは全く違う解決法を
探しているのです。
私はこの本の中で、
この中断の理由の一つについて、次の
ように説明しました。
印象派を支えた原理は、やや単純すぎる
ものであって、
知っていることと知覚していることを
完全に分けることはできないのです。
そのため、アイディア全体が崩れさって
しまったのです。
その後のページで補足すべきだったの
かもしれませんが、
それには写真の発明も深く関わっている
のですが、
芸術家やイメージ制作者のための、
別の可能性の探求が、
今に至るまでずっと続いているのです。

ローズ:あなたは熱心なコレクターでは
ないようですね。

ゴンブリッチ:私はコレクターではないですね。

ローズ:なぜですか?

ゴンブリッチ:私にはそんな財産はないからですよ。

ローズ:大コレクターもはじめは小額の資金から
スタートしていますよ。

ゴンブリッチ:確かに。
私には所有欲がないのでしょう。
偉大な作品は、美術館やギャラリーで
見られれば満足なのです。
所有したいとは思いません。
どこにあるかわかっていれば
良いのです。

ローズ:美術館で見ればよいと。

ゴンブリッチ:その通り。

ローズ:でも版画は持っているでしょう?

ゴンブリッチ:私の父は版画のコレクターでした。
ですから私は多くの版画作品を譲り受けました。
その中には大変価値があるものも含まれます。

ローズ:ウィーン時代の話をしましょう。
あなたの母親は、マーラーとフロイトの
友人だったそうですね?

ゴンブリッチ:はい。
彼女はフロイトの顔見知りでした。
友人というのは言い過ぎですが…

ローズ:そうですか?
彼女は彼らについてなにか
言っていましたか?

ゴンブリッチ:いろんなことを言っていましたよ。
彼女はフロイトのことを今までで最高のユダヤ・ジョークの
語り手だと言っていました。

ローズ:マーラーについてはどうですか?

ゴンブリッチ:マーラーは神経質で気難しい人でした。
母はそのこともよくわかっていました。

ローズ:あなたの成長には音楽が重要な意味を
果たしたのでしょうか。

ゴンブリッチ:全くその通りです。
私の家族にとって、音楽はとても重要な
ものでした。

ローズ:あなたはロンドンで最初にヒトラーの
死を知った人物だったのですか?

ゴンブリッチ:ええ。当時私はそういったニュースを伝えて
いましたから…

ローズ:そのときの様子は?

ゴンブリッチ:その時は…
戦争の末期で、
それはドイツ軍の無線通信の一つでした。
私たちは重要な発表があるということで
待機していたのです。
それはヒトラーに関するものであること
は予想できていました。
私は経験のあるスタッフとして呼ばれて
いました。
私にはニュースをできるだけ早く伝える
ためのアイディアがありました。
あらかじめ何枚かのメモにこんな風に
書いておくのです。
ヒトラーが死んだ、ヒトラーが降伏する、など。
そして無線から「我々の総統が死去
…」と聞こえるやいなや、
正しいメモを指差しました。
情報は即座にチャーチルに伝えられ
ました。

ローズ:その時チャーチルは寝ていましたか、
何時頃だったのでしょうか?

ゴンブリッチ:寝てはいなかったと思いますよ、
あれは…

ローズ:ワーグナーの曲は演奏されたのですか?

ゴンブリッチ:そのとき演奏されたのはブルックナー
でした。ブルックナーの交響曲第七番第二楽章です。
その楽章は、ワーグナーの追悼のために
書かれたのです。
その時私は、その後に起きることの
予兆を感じ取りました。

ローズ:音楽家になろうと思ったことは?

ゴンブリッチ:いいえ、まったく。私には才能が
ありませんから。

ローズ:才能がない?

ゴンブリッチ:ええ、そう思いますよ。

ローズ:オックスフォードで教授職について
いらっしゃった?

ゴンブリッチ:はい、オックスフォードでも教授を
つとめました。

ローズ:「美術の物語」の出版後、何か変化が
ありましたか?

ゴンブリッチ:講演やゼミの依頼があちこちから来る
ようになりました。
アメリカにも何度も呼ばれましたし、
他の場所からも依頼がありました。

ローズ:ナイト爵に叙せられたのはいつですか?

ゴンブリッチ:一九七二年だったと思いますが…よく
覚えていません。

ローズ:あなたの好きな芸術家は?誰が…

ゴンブリッチ:好きな芸術家というのは思い
あたりません。
私は芸術家を格付けしません。
私は何人かの芸術家を大いに
賞賛します。
しかし、別の芸術家の作品を見る
ときにも、彼もまた素晴らしいと言うでしょう。
とはいえ、例えば私はベラスケスを
大いに賞賛しますし、
シャルダンにも賞賛を惜しみません。

芸術家とは、言ってみれば、
とても優れた技量でカンバスに絵具を
配置する人々のことです。
それは一つの奇跡なのです。

ローズ:ゴンブリッチ卿は、先週ロンドンで
亡くなりました。九十二歳でした。
それでは次回、またお会いしましょう。

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