05-13-12

マーシャル・マクルーハン「グローバル・ヴィレッジ(地球村)について」

“Marshall McLuhan in Conversation with Mike McManus – Friday May″に日本語字幕を付けました。
翻訳は辻憲行 (twitterID=nori_1999)
芸術係数(http://gjks.org)
元の動画はこちら

〔字幕〕
マイク・マクマナス:一九五〇年代初頭、世界はグローバル・ヴィレッジへ
向かいつつある、と予言していましたね。
私たちは地球規模で物事を考えるようになるとも。
今現在、予言は成就しつつあるのでしょうか?

マーシャル・マクルーハン:我々は逆戻りしています。
部族的で、集合的、個人の意識を持たない
古代人の二分心的な意識へ戻っています。

マクマナス:しかし、この部族的世界は友好的でない
ように感じるのですが。

マクルーハン:そのとおりですよ。
部族的世界の人間は、互いに殺しあうのです。
部族的社会は、危険の絶えない社会です。

マクマナス:我々がグローバルで、部族的になれば、
我々は…

マクルーハン:我々がもっと緊密になれば、互いに
もっと好意的になるとでも?

マクマナス:ええ。

マクルーハン:そんなことはありえませんね。
人間同士近づけば近づくほど不寛容に
なるのです。

マクマナス:それが人間の本質なのでしょうか?

マクルーハン:狭い環境では、人の寛容度に大きな
負荷がかけられるのです。
村落共同体の人々は、さほど互いを
愛していないのです。
グローバル・ヴィレッジとは、脅迫的な
インターフェイスであり、
非常に神経をすり減らす環境なのです。

マクマナス:ケベック州の分離主義思想には、その
ような考え方との共通点が見えますか?

マクルーハン:ケベック州民は国内の英語圏コミュニティ
を不快に感じているでしょうし、
それは百年前にアメリカ南部が北部に
感じていたのと同様の感情でしょう。

マクマナス:それはスペースの必要性ということ…

マクルーハン:いいえ、できるだけ摩擦の起きないような
出会いが必要なのです。
車輪とアクセルの関係にもう少し隙間が必要なのです。
車輪とアクセルが直結しすぎると、遊びが
なくなってしまうのです。
だから人々の間にも潤滑油というか、
少々距離が必要なのです。

マクマナス:距離を取る傾向というのは、世界中に
見られるものでしょうか?

マクルーハン:もちろんそうです。分離主義の台頭は
世界中で見ることができます。
世界中の国々で、リージョナリズムや
ナショナリズムを掲げる集団が活動しています。
ベルギーにおいてすら分離主義の大きな
動きがあります。

マクマナス:しかしケベック州民は、分離主義を
アイデンティティの追求と捉えています。

マクルーハン:あらゆる暴力はアイデンティティを
追求する行為です。
フロンティアを生き抜くとき、あなたに
アイデンティティはありません。
あなたは何者でもないのです。
だからあなたはタフになります。
自分が特別な存在であると、力で証明する
必要があるのです。
だから暴力的になるのです。

アイデンティティには、常に暴力が伴うのです。
一般市民にとって、暴力は自分たちの
アイデンティティを奪うものです。
暴力は、彼らのアイデンティティを
脅かすものでしかありません。
テロリストやハイジャック犯などは、
負のアイデンティティを持ちます。
彼らは何とかして注目されることを、
固く誓った人々なのです。

             このエントリーをはてなブックマークに追加



 
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この blog は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 2.1 日本 ライセンスの下に提供されています。