07-10-12

リチャード・ドーキンス「道徳の問題を科学的に考える」

“Richard Dawkins: Letting Science Inform Morality″に日本語字幕を付けました。
翻訳は辻憲行 (twitterID=nori_1999)
芸術係数(http://gjks.org)
元の動画はこちら

ルーシー:1974年にエチオピアで発見されたアファール猿人の化石人骨の愛称。発見の際に、調査隊のメンバーが
ビートルズの「Lucy in the Sky with Diamonds」を流していたことからそう呼ばれている。

アルディ:1992年に東京大学の諏訪元教授によって発見されたラミドゥス猿人の化石の愛称。ルーシーより100万年以上も
前に直立歩行をしていた可能性が指摘されている。

最古の「人類の祖先」はルーシーではなくアルディ(ラミダス猿人)-WIRED

〔字幕〕
–科学は道徳の問題を解明できるのでしょうか?

リチャード・ドーキンス:科学の仕事は道徳上の問題を解明する
ことではありません。
しかしながら科学は、道徳哲学におけるあらゆる主題の、
道徳的問題を論理的に検討する際に、
特定の考えの矛盾点を明らかにするのに役立ちます。
中絶や安楽死などに関する道徳上の問題を検討しているとき、
誰かが、極めて醜悪な意見を述べていることを、
それが、自己矛盾をきたしているためであるとして指摘できるのです。
そういう意見を言う人々は…あることを強く主張しつつ、
他の主張と同等のリスクを自らの主張も持っていることを無視する
という矛盾を抱えているのです。
その矛盾を指摘するのが、科学的思考なのです。
それは科学そのものではなく、哲学における科学的思考です。

さらに、科学的事実もまた、例えば中絶の道徳的問題を解明するのに
役立つのです。
科学者は、胎児の発達過程で、いつ神経組織が発生するのかについて、
有益な情報を提供できるでしょう。
神経組織の発生以前には、胎児は痛みや苦しみを感じる能力を
持たないでしょうから、神経組織の発生は、極めて重要な意味を
持っていると言えるでしょう。
あるいは、胎児の神経組織が発生し、痛みや苦しみを感じる能力を獲得
したとしても、それは成牛の神経組織よりも未熟であると言えます。
その場合、人間の胎児の感じる苦しみと、
食肉として屠殺される成牛の苦しみのバランスはどうなのか。
道徳至上主義者なら、人間は特別な存在であり、
牛は人間ではなく、同じ道徳的考察の対象にならない、と言うでしょう。
それに対して科学者はこう応えるでしょう。
特別とはどういうことでしょうか?我々人類は結果として進化したに過ぎず、
すべての種はいとこのようなものです。
あなたは進化の過程のどこかで線引きをして、ここからは人間で、これ以前は違う、
などと主張するのですか?
人類はチンパンジーと共通の祖先からの進化の過程で、およそ六百から七百万年前、
ルーシーやアルディのような種を経由し現生人類に至ったわけですが、
ルーシーは人間の道徳観念を持つのか、それともチンパンジーのそれを持つのか。
この問いが示唆するのは、このような仕方で、種の間に明確な境界
線を引くべきでないということです。おそらくその線は、
もっと曖昧なものであるべきなのでしょう。
極端な道徳至上主義者は、早急に確固とした境界線を、人と他の種
の間に引こうとします。
人間の排泄物さえも人間的であると言い、大人のチンパンジーの排泄物は
人間的ではないと言うのです。
そのような主張は考察に値しない、と言うことは、
科学的に一貫性のある主張なのです。
少なくともこのような仕方で科学は、
道徳上の議論に寄与するのです。

–科学的理性が、社会に害悪をなすことはあるのでしょうか?

ドーキンス:私たちは醜悪な行いを功利主義的に
正当化することができます。
人は拷問について、功利主義の立場から
それを肯定することができるのです。
道徳哲学者は次のような仮想問題を提起することがあります。

世界規模の爆弾が起爆しようとする時、ただ一人の人間が
それを止めるパスワードを知っているとする。
その人物は自爆犯であり、パスワードを教えようとしない。
我々にその人物を拷問する権利はあるだろうか?

多くの人が、権利はあると答えるでしょう。
拷問は極めて残酷な行為であるけれども
このような特殊な状況下でなら、世界を救うため、
人はその人物を拷問するだろう。
こうして功利主義的に拷問のような醜悪な行いを正当化できるのです。

             このエントリーをはてなブックマークに追加



 
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この blog は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 2.1 日本 ライセンスの下に提供されています。